日常風景のなかで

日々の生活のなかで思ったことをつらつらと調べながら書きつづります

文字と会計システム

最近の経済学関連の書籍を手にとって見ることにした。

その内の二つの書籍に共通して示されているのが、メソポタミアを中心に発達したクレイ・トークン・システムに関してである。ちなみにその書籍の内の一つはF・マーティンの『21世紀の貨幣論Money - The Unauthorised Biography』である。クレイ・トークンとは粘土製のトークンの事である。

 

21世紀の貨幣論

21世紀の貨幣論

 

 

私たちは考古学的な証拠を踏まえたクレイ・トークン・システムの科学的な仮説について考察することができる。クレイ・トークン・システムを見出したのは考古学者のシュマント=ベッセラである。

 

文字はこうして生まれた

文字はこうして生まれた

 

 

クレイ・トークン・システムは、一つにマネーの会計的特性に関する仮説であり、もう一つにクレイ・トークン・システムの誕生こそが文字言語の発端に位置するものであるという仮説である。

私たちが貨幣と呼ぶものとクレイ・トークンには全く異なる性質を見出すことができる。クレイ・トークンは文字に先立ち発達したシステムであり、数学に先立っている。クレイ・トークンは商品の価値を数字で表すものではなく、商品とクレイ・トークンの一対一対応の尺度として機能していた。

トークンは様々な形状をしており、その形状によってその対象が異なっていた。対象は穀物、動物、衣服、食器、家具など様々である。

クレイ・トークンによる機能が廃れたのは、次のような原因が挙げられるだろう。一つにクレイ・トークンを使用するよりも、それと全く変わらない機能を平面で表現したとしても、実際に意味が変わらないことが見出され、実用性で2D化された所謂「文字」の方が優れていたためである。

またクレイ・トークンの出現によって、更に多くの信用取引が可能となったが、クレイ・トークンは実際に信用取引の規模の拡大には不適当であったという点であろう。「数字」としての機能を持たないために、後の「数字」の発達と共に廃れざるをえなかった。

F・マーティンはヤップ島のフェイの例、イングランドのタリー、銀行が機能をマヒさせた時のアイルランドの私的な小切手などを例に取り、「貨幣」ではなく、「マネー」の信用取引の重要性を指摘している。

F・マーティンは「マネー」における機能として、会計システムおよび信用取引の重要性を指摘している。私たちが常日頃当たり前と考えている「管理通貨制度」とは、価値尺度の機能として、今日ほぼ全ての国々で制度として確固とした地位を築いているが、「管理通貨制度」は歴史上きわめて新しい部類に入る制度である。

私は「管理通貨制度」に関して、実際に数学的なアプローチおよび心理学的なアプローチの両面から、更には認識論や物質論、価値論も踏まえたアプローチから点検していく必要があると考える。「管理通貨制度」が何をもたらす可能性があるのかという予測や予期に関する議論は、特に日本においてその活発性が欠けている。

その理由は、恐らくだが、国際社会における制度設計に「日本人」は関与できないと考えているという点と、経済学が築かれてきた過程の歴史的な考察に関する研究に関して極めて無関心であることも挙げられるだろう。この点については、日本語がアルタイ語に親和性を持つ言語で、インド・ヨーロッパ系の言語との壁が厚い点も考慮に入れる必要があるのだろう。

私は「貨幣」が「価値」の適正な尺度であるという神話を信じない。この点で経済学の入り口から躓いていると言っていいだろう。そうであるが故に、多くのいわゆる経済学者の発言の意味がさっぱり解らないのである。

これらの問題については地球科学や生物学などにも繋げて今後も検討する。