日常風景のなかで

日々の生活のなかで思ったことをつらつらと調べながら書きつづります

【試論】状況について

まとめ方がよく解りません。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

状況について

 

「状況」という概念を論じる理由

 

 ここで主題とするのは「状況」という概念についてです。「状況」という言葉の意味を辞書などで調べるとその意味が掲載されていると思います。実際にweb上で大辞林三省堂)を調べると以下のような意味が掲載されています。

 

 「時とともに変化する物事の、その時、その時のありさま、ようす。」

 

 「状況」という言葉を使う場合、このような意味を念頭において使っていると思います。人それぞれ「状況」という意味合いの感じ方に違いがあるかもしれませんが、大まかにこのような意味として共通認識を実際にもっていると思います。そしてコミュニケーションをするにあたり、お互いに十分に意味を読み取ることができると思います。

 

 ここではこの「状況」という概念についてもう少し込み入った問題に立ち入りたいと考えています。私のここでの目的は、できる限りこの概念とそれに関連する事柄を「明確」にすることです。「明確にする」というのは、実際に目に見えるような、視覚に訴えるような形に近づけることを念頭においています。また、視覚に訴えるような形というのは⑴情景を描くように記述する方法、⑵図式を描くように記述する方法があると考えます。このように捉えた上で、特に図式を描写していくような形で記述されていくと思います。

 

 さて、「状況」という言葉を辞書で調べた時、私たちは状況というものを、その意味において頭の中でぼんやりと思い描くことができると思います。しかし、実際に様々な状況というものを考えていく上で、一つの重要な要素を付け加える必要があると私は思います。

 

 それは状況を認識する「ヒト」という存在です。一般的に「ヒト」を表現する言葉は幾つかあります。ヒト、人間、人民、市民、国民、住民など様々ありますが、私たちはこれらの言葉の意味をその微妙な違いによって選んだり、使い分けたりしています。ここでは「ヒト」の様々な「状況」に際して、物事を見たり、感じたり、考えたり、決めたり、行ったりする存在としての「ヒト」という点に重点を置いていこうと思います。

 

 「ヒト」という言葉は、ホモ・サピエンスの俗語として使用されたりと、その生物学上の分類された一つの種を指して使用されたりします。他の言葉も「社会」という概念を念頭においた「市民」や、「国家」という概念を念頭においた「国民」などもあります。ここでは人間一人ひとりを一つの単体として捉えて考えていくことを念頭においています。

 

 

 そこで「ゲーム理論」などで使用される用語である「プレイヤー」という概念を使用したいと思います。

 

 私は「状況」という概念を主題とするといいましたが、実際は「状況」という概念と「プレイヤー」という概念を利用して、「社会とヒト」のあり様を描くことを想定しています。「社会とヒト」を実際にどのように描いて見せるのかということが、さまざまな社会の問題やさまざまな諸個人の問題の取り組み方に影響を及ぼすだろうと考えています。

 

 社会の問題や諸個人のさまざまな問題にどのように取り組んでいくべきなのか考えた時、その方策を考える上での足掛かりの基礎を築くこと、それが私の取り組みの目的ということになると言っていいでしょう。

 

 

 

 「状況」と「錯覚」/日常において念頭に置かれないということ

 「自己からの疎外」と「状況からの疎外」

 

 

 

 ⑴各プレイヤーが想定している状況

 

  ⒈各プレイヤーの認識における状況の差

 

⒉各プレイヤーの目的の差

 

倫理学は、われわれが熟慮的意図の下に採択する用意のある行為の目的とはどんなものであるかについての研究である。」C・S・パース

 

 ⑵各プレイヤーにおける理性に関して

 

  ⒈各プレイヤーの戦略の基盤

 

   身体からの影響――感情と理性

 

   プレイヤーの身体的な特徴

 

   理性における論理および言語の特徴

 

  ⒉各プレイヤーの自己鍛錬および弱い意志と誘惑

 

   戦略上の様々な誘惑

 

   狂信と虚無

 

 ⑶各プレイヤーが想定している状況への適応と対応

 

 ⑷各プレイヤーの後天的相互関係――社会における人

 

  ⒈各プレイヤーにバックグラウンドがないものとして想定された戦略論

 

   状況設定

 

    設定によって理想化された状況上での戦略

 

  ⒉無視されるバックグラウンド

 

    戦略上の状況認識の限界

 

 ⑸各プレイヤーの先天的相互関係――家族および民族

 

  ⒈各プレイヤーの家族的状況

 

  ⒉各プレイヤーの民族的状況

 

 ⑹各プレイヤーの戦略が他プレイヤーに及ぼす影響

 

   各プレイヤーが他のプレイヤーと関わるということ

 

   介在する貨幣とマネーの概念

 

  ⒈戦略の均衡――限定状況におけるプレイヤーの最善の戦略

 

  ⒉戦略の非対称性――各プレイヤーの戦略が生み出す流体的力学

 

 ⑺各プレイヤーの身体とその環境

 

   専門性からみる願望や目的

 

 各プレイヤーの状況の想定とその背後の気分や論理は、現代において学問上の専門的な知識の影響を強く受けていると思います。各プレイヤーの様々な目的は、生物としてのヒトの衝動や願望の影響を受けると同時に、その学問上の専門的な知識を基盤としていることが多いように見受けられます。

 

 ここでいう専門性とは単に大学や大学院などの高等教育における知識もそうですし、職業上の専門的な知識なども含めていいでしょう。

 

 当然のことながら、家族の中で培われた知識や家庭における慣習や家庭において個人に身についた習慣といったものや、住んでいる地域に固有の慣習や価値観などの影響は大きいと言っていいでしょう。

 

 ただ、今日の日本や他の先進諸国に見られるような高度に発達した教育システムによって構築された専門的な知識の体系などに関して、私たちは無視して考えるわけにはいかないくらいの大きな影響を受けていると見做していいと思います。

 

 

 

 「はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。」創世記

 

    創造論と物理学(最も遠い近親者)

 

 私たちの価値観に小さくない影響を与えていると思える知識に関して幾つか言及したいと思います。それはヒトも含めて生物一般が生きていく上でそれほど関わりがないようなことに関する話です。

 

 古代から現代にいたる長い歴史において、様々な軌跡を辿りながら保存され、また語り継がれているものの中に「神話」というものがあります。何故神話は語り継がれてきたのでしょうか。

 

 古くから受け継がれている多くの歴史は神話から始まり、やがて人々の様々な活動の記録へと移行していきます。現代に入り、神話は考古学によってその地位を奪われました。

 

 歴史学においては神話の地位を奪ったのは考古学であると言っていいでしょう。しかしもう一つ別の学問体系によってその地位を奪われたとも言えるでしょう。それというのは宇宙物理学、地球科学、進化生物学などの自然科学における学問体系です。

 

 人類が「神話」に見出そうとした世界の大部分は考古学よりも一層に自然科学によって書き換えられていると言った方がよいでしょう。

 

 「何故私は存在するのだろう。」といった実存への問いに対して、恐らく「自然科学」における宇宙物理学も、地球科学も、進化生物学も、もしかすると完全な解答とはなっていないかもしれません。そもそも完全な解答があるのかどうかすら怪しい問いだと思います。しかしながらそういった実存への問いに対して、科学的な一つの解答として、一つの道筋として道が開かれているということは言えるのではないでしょうか。

 

    生物学と心理学、文学(公正と公平の地平)

 

    経済学、経営学、政治学、工学(象徴への誘惑)

 

  ⒈創造論インテリジェントデザイン・ビッグバン理論   

 

⒉身体の生成(マクロ進化および個人的成長)

 

 「未だ生まれざるを時の我を思えば、即ち天根を知り、方に生まるる時の我を思えば、即ち天機を知る。」 佐藤一斎『言志後録』

 

  ⒊非自由意志論からの考察

 

  ⒋システム1とシステム2

 

  ⒌自然の定義が戦略や目的、ルールに及ぼす影響

 

 

【下書き】自然および自然権について - 日常風景のなかで

 

 

  ⒍当然のことと自然であることの対比

 

 ⑻各プレイヤーに課せられたルール(司法的側面と立法的側面および慣習)

 

 ⑼抽象的な状況論から具体的状況へ向けて

――――――――――――――――――――――――――――――――

統覚(Apperzeption)とエネルギー

 探索――一つ一つ筋道を立てて妥当性を模索する

哲学的な探索

 哲学的な探索の特徴

 哲学に見られる探索の特徴は物理的な厳密さよりも、認識された記号が出発点となることが多い。言語による一つ一つの用語(ピース)の組み立てが容易であるが、用語の持つ不明瞭さを鮮明にすることは難しい。実質的にブール演算に見られるような論理系に従属しているものが殆どである。表現体系の矛盾やトートロジーの存在について、実質的には無視されるケースがほとんどである。

 

矛盾およびトートロジーという概念は否定や条件法、また「~と~」、「~か~」という表現と役割が異なる一つの演算子と見做すことができる重要な記号である。数学における「0」と同じく、表現上役割はあるが、「0」と同じように認識の表象には上がりにくい。特に「トートロジー」の意味や役割は軽視されやすい。「表現が矛盾している」というのが一つの非難となるとき、それは「トートロジー」の軽視からくるものと見做すこともできるのではないか。

 

科学的な探索

 科学的な探索の特徴

 科学に見られる探索の特徴は認識された記号を出発点とするよりも、物質的な厳密さが要求される。日常言語における粗雑さ排除できることが特徴だが、対象とその対象の名称との対称性を要求されることで、日常の日常言語によって繰り広げられる命題と、実質的には結びつきがたい。言い換えると、広く他者に認識されるようにすることは難しい。ヒトの心理や行動に関して、最終的には生物学、更に化学や物理学への厳密な照会が前提となるために思考において「思い描くこと」が難しいためである。

例えば、カントの使用する「理性」や「悟性」や「感性」という用語は科学的探索において、その思考するための「切っ掛け」や「ヒント」にはなりはするものの、これらの用語は科学的には妥当な表現とはならない。

 

 

イギリス自由主義的な人格論

個人における感覚の統合
 ある領域のある時間内におけるサンプルの膨大さ

集団における感覚の統合
 ある領域のある時間内における、たった一つのサンプル


「国民の声を聞け」という命題の目的と手段に関する考察