日常風景のなかで

日々の生活のなかで思ったことをつらつらと調べながら書きつづります

【資料】フィードバックと記号

ここではフィードバック記号についての考えをまとめたいと思います。

 

私とは私と私の環境である。

――オルテガ・イ・ガセット

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言語活動に関連して、次のような分類が西部邁から示されています。

     表現  蓄積  伝達  尺度

何故このような分類に至ったのかまでは示されていませんでしたが、私なりに解釈するとこうなります。

簡単なフィードバックの系を想定することにしましょう。

 

 

    f:id:funthought:20150330144857g:plain

 表現はこの図でいうzないしyへと出力することと解釈します。また蓄積はこの図でいうvないしuから入力することと解釈します。蓄積というからには系において記憶されることを前提としています。ここでは出入力の内容にも重点を置いて考えます。

 伝達とは系の外側での作用全般をさし、尺度とは系の内側での作用全般をさすと解釈します。伝達は系を取り巻く環境全般を視野に入れ、尺度は系の内部環境全般を視野に入れて考えます。特に内容の出入力には重点を置かないで考えます。

当然にこれらは互いに連関しています。

 西部邁はこれらの作用全般の重要性を指摘しています。表現と伝達に重点を置きすぎると解釈内容などどうでも良くなりますし、蓄積と尺度に重点を置きすぎると環境からはどうでもいい系になります。

 特に解釈内容に重点を置かない場合、心理学の用語を用いるとシステム1が働くだけの自動化が加速します。当然に気分には作用しますので、酷く感傷的に系の環境に作用すると考えるべきでしょう。ただ、気分に働く作用を無視した場合、解釈内容そのものの意味も無意味化していく可能性もあると考えることもできるでしょう。

 社会における活動に関して行動に特化し過ぎた考え方について、私は幾分否定的です。解釈内容を精査するという作業を働かせない行動の顛末は、その行動に精彩を欠く可能性は大きいと思います。ただし、解釈内容の精査を十分に行ったとしても、それが適正な行動を生み出すものと断言することは全くできないとも付け加える必要があるでしょう。

生真面目な言行の果ての失敗は時に悲しいものであるかもしれませんし、辛いものであるかもしれません。そういった生の活動において、小さくない浄化となりうるのは恐らくユーモアを持って生きていくことだと思います。人の失敗を前に冗談をいうのは時に更なる災厄を招くかもしれませんが、そのためにもユーモア感覚を養うというのは重要なことなのかもしれません。

 

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