【試論】言葉への追随と言葉による拘束
ここでは言葉の性質について考察していきたいと思います。
私たちはヨーロッパから輸入した言葉を極めて厳格に定義づけすることを半ば義務付けられています。ある用語Aがあると仮定しましょう。
このAの定義は決められています。
その言葉の定義づけがなされているのは、一つに歴史的経緯があります。もう一つがその歴史的経緯に基づく形式化です。
Aの意味はこのようなものです。歴史的経緯があり意味づけが既に行されているにしても、実際にAという言葉の語彙が持つ多様性の発展的解釈が行われたとしても、その形式化された意味、権威化された意味は取り除かれることはないでしょう。
歴史的経緯に従うというのは、実際に前の年代においてその言葉の意味づけが、そのようにしか解釈されなかったという部分があります。しかし時代が進むにつれてその意味合いの多様性や、新しい学識、新しい解釈を取り入れることは実際に可能です。
この権威化が場合によっては自由な議論を阻害している側面はあると思います。これはその歴史的経緯をもつ言葉の意味の定義が間違っている、形式的意味が間違っているという意味ではなく、実際はそういった意味で使われているだけの話です。
この種の用語を羅列するのは簡単です。たとえば、民主主義、自然主義、自由主義、社会主義、権利、人権、義務、法の支配などがこの種の概念と言っていいでしょう。
次のような文章があったとしましょう。
⑴ある行為によって民主主義が損なわれた。
⑵人権を守らなければならない。
このような表現は比較的よく使用されるのではないかと思います。
そもそも民主主義といい、人権といい具体的にどういった意味で指しているのか、はっきりしない場合が多いと思います。民主主義や人権の解釈によっても違います。またその定義づけの解釈によっても人それぞれ想い描くものも違います。
私たちは使い慣れた表現を使うによって、実際にその言葉を無意味化している側面があると私は思います。
本来重要な論点であるにも関わらず、表現によって無意味化していくことによって、私たちは見定めるべき方向性を失っていくことでしょう。
⑴ある行為によって民主主義が損なわれた。
と聞くと危機を感じます。この民主主義を空欄にしてみましょう。
⑶ある行為によって( )が損なわれた。
この空欄に入るものであるならばなんであれ、危機を感じるのではないでしょうか。
民主主義が具体的に何を指しているのであれ、危機感を覚えるのです。
仮に民主主義について何らかの定義を用いることにしましょう。これに関しては、幾つかの意味合いをもってくるでしょう。実際に民主主義国家を自称する国でもその意味合いや、形態は異なります。現実の国家でさえそうなのですから、頭の中で想像された民主主義国家を加えたならば更にパターンが増えてきます。
このどれを指して民主主義といっているのかは人それぞれです。
⑴ある行為によって民主主義が損なわれた。
民主主義の意味や定義が異なれば意味合いは全く異なってきます。
この主張において、Aというのが民主主義である。という主張とBというのが民主主義であるという主張があったとします。AとBの意味が異なるとしたならば、前者と後者の意味は異なります。
⑶の空欄にAとBを当てはめるとこうなります。
⑷ある行為によってAが損なわれた。
⑸ある行為によってBが損なわれた。
あらかじめAとBの意味が異なるとしましたので、この⑷と⑸も意味が異なります。ここで実際にAとは何かBとは何かというより具体的な違いが重要になってきます。
こうしてみると⑷と⑸と比較して⑵の意味は少しばかり意味合いの正確さが弱くなっているはずです。⑷と⑸についても、この一連の作業ができるわけですから、ここから延々とこの作業を続けていったとしたならば、⑵の意味は殆ど無意味なものに近いものと感じられるかもしれません。
例えば、
⑹Aとは、CがSであること。またCやDがTであること。
⑺Bとは、EがUであること。ZのときのXに由来する。
であったとしたならば、またC、D、E、S、T、U、X、Zがどういったものであるのかを遡及しなければなりません。
この時、最初の⑴の意味合いを⑷、⑸、⑹、⑺で論理に基づいて検討すると⑷、⑸のみの時よりも、一層に論理的妥当性を直感的に見出すのは難しくなるでしょう。
⑴の言明が仮に無意味なものに感じたとしたならば、⑴の言明そのものを何らかの形で修正する必要が出てきます。
私たちがもし仮に言葉の無意味化を抑制しようと試みるとしたならば、よりはっきりと言葉の意味を確定させていかなければなりません。それはある意味で具体的な対象と関わるものでなければなりません。社会科学であるならば実際に生きている人々のことを想定しなければならないわけです。
こういった背景を前にして、実際に言葉を無意味化していっている団体の代表はマスメディアであると思われます。これに関しては今後更に話を展開していこうと思います。