日常風景のなかで

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【資料】功利主義の一般的解釈

ここでは功利主義についての考えをまとめたいと思います。

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功利主義 - Wikipedia

功利主義(こうりしゅぎ、英: Utilitarianism)は、行為や制度の社会的な望ましさは、その結果として生じる効用(功利、有用性)(英: utility)によって決定されるとする考え方である。帰結主義の1つ。実利主義(じつりしゅぎ)とも呼ばれる。また、「功利主義」という日本語の語感がもたらす誤解を避けるため、「公益主義」あるいは「大福主義」という呼び方が提案されている。
倫理学法哲学、政治学、厚生経済学などにおいて用いられる。

英語版

 Utilitarianism is a theory in normative ethics holding that the moral action is the one that maximizes utility. Utility is defined in various ways, including as pleasure, economic well-being and the lack of suffering. Utilitarianism is a form of consequentialism, which implies that the consequences of an action are of moral importance. This view can be contrasted or combined with seeing intentions, virtues or the compliance with rules as ethically important. Classical utilitarianism's two most influential contributors are Jeremy Bentham and John Stuart Mill. Bentham, who takes happiness as the measure for utility, says, "it is the greatest happiness of the greatest number that is the measure of right and wrong".

 

功利主義というのは単純に「利益こそが至上の価値」みたいな思想という印象も一般的に持たれている気がします。むしろUtility(有効性)を重視している思想信条と捉えた方がいいのかもしれません。またConsequentialism帰結主義)とあるように、結果、帰結、結論というものに重大性を置いているという観点も考察されているようです。

実際に、どのように有効性を獲得するかという点に対しては積極的に考察していく印象は受けます。功利主義の問題点を考えるならば自己懐疑性の弱さにある気がします。

功利主義が提出している論理の経路を、他の思想信条と比較して考えるためにはある程度功利主義の思想家に焦点をあてる必要がありそうです。少なくとも私は自己懐疑性が弱い傾向にあると思います。帰結主義の傾向があるという意味でも次のような印象を持ちます。功利主義者によって論理的に、言い換えますと演繹的、帰納的、仮説形成によって見出した結論というのが彼らのいう有効性というものと仮定できると思います。その有効性が実際に人々の生活の中で活用されるのにさいして問題点が見出される可能性が多大にあると思います。そのUtilityを再点検するという思考経路が功利主義には抜けているというのが一番指摘したいところです。実行される以前においても実際はある程度検討もしうるものだと思います。

私は「有効性を提示し、それを実行することに熱心に活動する」行動を総じて功利主義的な行動と解釈します。彼らが提示する有効性に対して、その批判を十分に検討せずに、アド・ホックに自論を擁護すること、そしてそういった態度を疑うことに対して否定的な言論を展開することを全般的に功利主義と呼んでいいような気がします。

この功利主義に対して一種のカウンターとなる思想信条になるのが消極的な懐疑主義と捉えることができるのではないでしょうか。消極的な懐疑主義は基本的には有効性を提示しないという思考の傾向性の事と言ってもいいと思います。

一般的に人々は、私が言う意味で功利主義的傾向懐疑主義的傾向の両方を併せ持っていると思います。

従って功利主義的であったとしても全く懐疑主義的ではないというわけでもなく、懐疑主義的であったとしても同時に全く功利主義的ではないというわけでもなく、そのそれぞれの論点においてこの傾向性のどちらかが発揮されるものだと解釈できると思います。