【資料】三畳紀とジュラ紀
カンブリア紀に始まりペルム紀で終わりを告げた原生代から、時代は中生代へと移ります。ここでは三畳紀とジュラ紀についてまとめたいと思います。
三畳紀(さんじょうき、Triassic period)は、現在から約2億5100万年前に始まり、約1億9960万年前まで続く地質時代である。トリアス紀(トリアスき)と訳すこともある。三畳紀の名は、南ドイツで発見されたこの紀の地層において、赤色の砂岩、白色の石灰岩、茶色の砂岩と堆積条件の異なる3層が重畳していたことに由来する。
中生代の最初の紀であり、ペルム紀(二畳紀)の次、ジュラ紀の前にあたる。開始および終了の時期は、研究者やその学説によって、いずれも互いに1000万年前後の年代差がみられる。
ジュラ紀(ジュラき、Jurassic period)は現在から約1億9960万年前にはじまり、約1億4550万年前まで続く地質時代である。三畳紀の次で白亜紀の一つ前にあたる中生代の中心時代、あるいは恐竜の時代と言える。ジュラ紀の名前は、フランス東部からスイス西部に広がるジュラ山脈において広範囲に分布する石灰岩層にちなみ、1829年にアレクサンドル・ブロンニャールにより提唱された。その後、1962年と1967年に開かれた国際ジュラ系層序小委員会により、11の階(期)の区分が確立された。
中生代は映画『ジュラシックパーク』でも馴染み深いように、よく恐竜に焦点が当てられる時代だと思います。現代では想像もできないような巨大な生き物が大地を実際に駆け巡っていたというわけですから、地球とは驚きに満ちた世界といっても言い過ぎではないように思います。
ダーウィンによって進化論が確立される以前から、化石の存在は知られていたようです。そういった化石が元を辿れば生きていたわけですが、進化論以前には化石はどのように解釈されていたのかは興味深いものです。三畳紀にも、実際現在では想像しがたいような生き物が沢山生きていたようです。
原生代の最後の時代、ペルム紀において9割の生物が絶滅しました。三畳紀には巨大なパンゲア大陸とそれを取り巻くパンサラッサ海とテチス海において、絶滅によって開けた空間を埋め合わせるように生命は進化していきます。
三畳紀には現在のカエル、イモリ、オオサンショウウオからは想像もできないような巨大な両生類もいたようです。ペルム紀の大量絶滅を生き残った恐竜もこの頃から繁栄を迎えます。爬虫類の単弓類から哺乳類が生まれたのも三畳紀です。空には爬虫類の翼竜が進出します。
海では三葉虫が絶滅し、また大量絶滅によって軟骨魚類もまた勢力を小さくしたようです。それとは対照的に硬骨魚類が勢力を拡大していきました。また爬虫類の魚竜も海に進出します。後期には首長竜も海に姿を現しました。
ジュラ紀にはペルム紀の大量絶滅で消失した大気中の酸素濃度が回復してきます。このため恐竜も大型化していきます。またジュラ紀後期には獣脚類恐竜の中から始祖鳥が生まれています。
このころ巨大なパンゲア大陸は分裂し、北のローラシア大陸と南のゴンドワナ大陸に分かれます。大陸では裸子植物に加わり被子植物が出現します。
生物は自然界において食うか食われるかの運命を負っています。現代の人類において、食われるというケースはほとんど考えられにくいと思いますが、それとは別に私たちの遺伝子には、この食うか食われるかという宿命を背負った自然界の野生生物の痕跡が小さくない程度で残っていると思います。
また現代社会における、私たちの状況判断に関わる機制にも、食うか食われるかという運命を背負った生物の痕跡が多大に残っていると思います。私たちは物事を正当に判断しているわけではなく、獲物を獲得するような、また外敵から身を守るような感覚で物事を判断していると言った方がより近いような気がします。
現代社会を考える上で、自然とは何かという問いは恐らく無視できないでしょう。前近代における自然の意味は現代とは少し意味が違います。私たちは新しい自然の意味を問い直し、そしてまた私たちの社会を見つめ直すことは必要だと思います。
メディア論などもこの点と対比して考える必要があると思えますし、教育論なども再度点検する必要があるものと確信しています。