日常風景のなかで

日々の生活のなかで思ったことをつらつらと調べながら書きつづります

自由主義の行方

自由主義の行方

 私は様々な政治思想の中では、自由主義に同情的です。イギリスで発達した自由主義の伝統の中には、成熟した態度が幾つも見て取れるからです。

 しかし自由主義は反面として社会主義ともよく結びつきます。私たちが自由主義を批判する時、それは一つに社会的自由主義に対する批判である可能性は多いと思います。国家主義的な自由主義も社会的自由主義と同義だと思います。

 まず自由主義者が本来最も嫌うのは権威主義です。これは本来、自らが権威として他者を抑圧することを嫌うことも意味していると思います。

 自由主義者が抑圧に反撃する戦略は「しっぺ返し」が主なものだと思います。相手の出方を窺ったうえでの消極的戦略です。

 イギリスで発達した自由主義者は本来、他者が他者に行う抑圧にも批判的です。イギリス保守主義の源流とされるE・バークのアメリカ独立戦争の擁護、イギリス東インド会社に対する糾弾、アイルランドにおけるカトリックの擁護、フランス革命への激しい批判の根底にあるものは抑圧への反発だと思います。

 現在の社会において特に批判されている自由主義批判は、実際はコーポラティズム批判であるように感じます。自由主義は本来の意味で言えば権威を嫌う立場です。実際に自らが権威化することも嫌うと考えるべきだと思います。

 コーポラティズムに見られる主張と自由主義に見られる主張のダブルスタンダードが成立しているために、より一般的に知られる自由主義が批判の対象にされていると見てもいいと思います。

 社会という有機体の中で生きるのであれば、実際はコーポラティズムに対しても擁護すべき向きも私にもあります。しかし、必ず権威に群がる人々というのが生まれてくるというのが実際の流れのような気がします。

繰り返しますが、自由主義の本来の意味は自分に対しても、他者に対しても抑圧を嫌うことだと思います。

ただし自由主義が抑圧を行わないという保証は実際はありません。それは抑圧に反撃する戦略を取らざるをえないからです。

 

 私は自由主義を心理学的観点から考察する必要があると思います。また貨幣理論とも絡める必要も考えるべきだと思います。自由主義は実際は大きな理論体系にはならないと思います。

非常に簡単な心理的な状態を単に自由主義と見做すに過ぎないのではないかと思います。社会の複雑さのなかで実際は苛立つことも多々あるにも関わらず、にこやかにユーモアを交えつつ他者と会話を交わし、他者になにをしてあげられるのかを真剣に考え、その上で自らのあり方を考えるという程度の意味が本来あるべき自由主義のスタンスなのではないかと思います。