【資料】70億のブラックボックス
ここでは実在の顕在性と潜在性について考察していきたいと思います。
続きを読む【資料】行動心理学――用語集①
ここでは行動心理学についてまとめたいと思います。
続きを読む【資料】白亜紀
ここでは中生代最後の時代、白亜紀についての資料をまとめたいと思います。
白亜紀(はくあき、白堊紀、Cretaceous period)とは、地球の地質時代の一つで、約1億4500万年前から6600万年前を指す。この時代は,ジュラ紀に続く時代であり中生代の終わりの時代でもある。次の時代は、新生代古第三紀の暁新世である。
白堊の堊(アク; アと読むのは慣習)は粘土質な土、すなわち石灰岩のことであり、石灰岩の地層から設定された地質年代のため白堊紀の名がついた。白堊を白亜とするのは常用漢字表にないからで、亜(亞)には土の意味は無い。
三畳紀とジュラ紀の間にはペルム紀末や白亜紀末のような大規模な大量絶滅ではないにせよ、小さくない大量絶滅がありました。ジュラ紀と白亜紀の間にはそれほど大きな大量絶滅はなかったようです。そのためかそれほどジュラ紀と白亜紀の間には大きな変化を感じません。
まず、哺乳類に変化が見られます。胎生を持つと同時に、有袋類と有胎盤類へと分化したことが挙げられます。有袋類は一般的にオーストラリアに生息する動物と思われていますが、オポッサムが南北アメリカ大陸で生き残っています。ジュラ紀には有袋類はこの地域に限らず広く分布しています。
鳥類も古鳥類と真鳥類が生まれました。それとは別に翼竜類が衰退していきます。また白亜紀にはヘビ類が出現します。ヘビがどのような形で生まれたのかは水中説と地中説が存在します。
白亜紀には三畳紀に単一であった超大陸パンゲア大陸が様々な形で分裂していきます。白亜紀における分裂からやがて、現在の大陸の形へと向かっていきます。
白亜紀末の大量絶滅の原因は、6586万年前にユカタン半島とメキシコ湾の境界にあるチクシュルーブ・クレーターを作った隕石の衝突であるというのが広く支持されています。魚竜など海洋生物の幾つかの種は隕石とは別に絶滅しているようですが、隕石の衝突によって、中生代に栄えた、恐竜、翼竜、首長竜さらにはアンモナイトなどが絶滅します。
わたしは幾つかの社会学的な議論に進化論や大量絶滅の議論が乱用されることに小さくない違和感を感じた経験が多々あります。
「進化しなければならない。」というフレーズを幾度となく聞いてきました。しかしその多くが実際は進化論や大量絶滅とは全く類比することができるようなものではないように感じてきました。そもそも進化論は個人的な意思とは何の関連性もないものだと思います。それとは逆にこのような一種の暴論が、私たちの生態系、ライフスタイルに何らかの影響を及ぼしているのではないかと思えます。
人類は生物史史上、最も急激に自らの生態系を変化させています。これは生物史史上、過去に一度もない現象といっていいでしょう。これこそがまさしく危機であり、人類であるが故に避けがたい危機なのだと思います。このことを直視することが、非常に困難な時代であるというのが現状なのでしょう。
【資料】三畳紀とジュラ紀
カンブリア紀に始まりペルム紀で終わりを告げた原生代から、時代は中生代へと移ります。ここでは三畳紀とジュラ紀についてまとめたいと思います。
三畳紀(さんじょうき、Triassic period)は、現在から約2億5100万年前に始まり、約1億9960万年前まで続く地質時代である。トリアス紀(トリアスき)と訳すこともある。三畳紀の名は、南ドイツで発見されたこの紀の地層において、赤色の砂岩、白色の石灰岩、茶色の砂岩と堆積条件の異なる3層が重畳していたことに由来する。
中生代の最初の紀であり、ペルム紀(二畳紀)の次、ジュラ紀の前にあたる。開始および終了の時期は、研究者やその学説によって、いずれも互いに1000万年前後の年代差がみられる。
ジュラ紀(ジュラき、Jurassic period)は現在から約1億9960万年前にはじまり、約1億4550万年前まで続く地質時代である。三畳紀の次で白亜紀の一つ前にあたる中生代の中心時代、あるいは恐竜の時代と言える。ジュラ紀の名前は、フランス東部からスイス西部に広がるジュラ山脈において広範囲に分布する石灰岩層にちなみ、1829年にアレクサンドル・ブロンニャールにより提唱された。その後、1962年と1967年に開かれた国際ジュラ系層序小委員会により、11の階(期)の区分が確立された。
中生代は映画『ジュラシックパーク』でも馴染み深いように、よく恐竜に焦点が当てられる時代だと思います。現代では想像もできないような巨大な生き物が大地を実際に駆け巡っていたというわけですから、地球とは驚きに満ちた世界といっても言い過ぎではないように思います。
ダーウィンによって進化論が確立される以前から、化石の存在は知られていたようです。そういった化石が元を辿れば生きていたわけですが、進化論以前には化石はどのように解釈されていたのかは興味深いものです。三畳紀にも、実際現在では想像しがたいような生き物が沢山生きていたようです。
原生代の最後の時代、ペルム紀において9割の生物が絶滅しました。三畳紀には巨大なパンゲア大陸とそれを取り巻くパンサラッサ海とテチス海において、絶滅によって開けた空間を埋め合わせるように生命は進化していきます。
三畳紀には現在のカエル、イモリ、オオサンショウウオからは想像もできないような巨大な両生類もいたようです。ペルム紀の大量絶滅を生き残った恐竜もこの頃から繁栄を迎えます。爬虫類の単弓類から哺乳類が生まれたのも三畳紀です。空には爬虫類の翼竜が進出します。
海では三葉虫が絶滅し、また大量絶滅によって軟骨魚類もまた勢力を小さくしたようです。それとは対照的に硬骨魚類が勢力を拡大していきました。また爬虫類の魚竜も海に進出します。後期には首長竜も海に姿を現しました。
ジュラ紀にはペルム紀の大量絶滅で消失した大気中の酸素濃度が回復してきます。このため恐竜も大型化していきます。またジュラ紀後期には獣脚類恐竜の中から始祖鳥が生まれています。
このころ巨大なパンゲア大陸は分裂し、北のローラシア大陸と南のゴンドワナ大陸に分かれます。大陸では裸子植物に加わり被子植物が出現します。
生物は自然界において食うか食われるかの運命を負っています。現代の人類において、食われるというケースはほとんど考えられにくいと思いますが、それとは別に私たちの遺伝子には、この食うか食われるかという宿命を背負った自然界の野生生物の痕跡が小さくない程度で残っていると思います。
また現代社会における、私たちの状況判断に関わる機制にも、食うか食われるかという運命を背負った生物の痕跡が多大に残っていると思います。私たちは物事を正当に判断しているわけではなく、獲物を獲得するような、また外敵から身を守るような感覚で物事を判断していると言った方がより近いような気がします。
現代社会を考える上で、自然とは何かという問いは恐らく無視できないでしょう。前近代における自然の意味は現代とは少し意味が違います。私たちは新しい自然の意味を問い直し、そしてまた私たちの社会を見つめ直すことは必要だと思います。
メディア論などもこの点と対比して考える必要があると思えますし、教育論なども再度点検する必要があるものと確信しています。
【資料】ペルム紀
カンブリア紀、オルドビス紀、シルル紀、デボン紀、石炭紀と続く古生代はペルム紀を持って一区切りを告げます。
ペルム紀(ペルムき、Permian period)は、今から約2億9,900万年前から約2億5,100万年前までを指す地質時代である。ただし開始と終了の時期はそれぞれ数百万年の誤差がある。以前はドイツの地層(上下二分される)名から二畳紀(にじょうき)と呼ばれることが多かったが、近年はペルム紀と呼ばれることが多い。石炭紀の後、三畳紀(トリアス紀)の前の紀である。また、古生代の最後の紀であり、ペルム紀が終わると中生代となる。ペルム紀という名前は、ロシアのペルミという都市から名付けられた。
古生代最後の時代には特筆すべきことがあります。
一つは赤道付近に存在していたユーラメリカ大陸と南半球から北上してきたゴンドワナ大陸が衝突してパンゲア大陸が形成され、更にこのパンゲア大陸と北半球のシベリア大陸が衝突して超大陸が誕生したことです。今ある全ての大陸が、この時代はたった一つの巨大な大陸だったのです。この超大陸パンゲアは三日月型をしており、外海をパンサラッサ、三日月の内側をテチス海といいます。
南北アメリカ大陸がかつてヨーロッパおよびアフリカ大陸と陸続きであったという仮説は、ドイツの気象学者A・ヴェーゲナーの『大陸と海洋の起源』によって打ち立てられました。ヴェーゲナーのこの大陸移動説は当初全く受け入れられませんでした。地質学者だけにとどまらず、物体の現象一般を高度に理論立てる物理学者にも大陸移動説が受け入れられなかったというのは興味深いことだと思います。
二つ目は、地球史上最大の大量絶滅(P-T境界)が起きたことです。生物の種の9割以上が絶滅したとされるこの事件には様々な説があるようですが、この時期に想像を絶するほどの激しい火山活動が起ったというのが有力な説の一つのようです。
石炭紀後期には爬虫類が既に誕生し、ペルム紀にはシダ類から更に裸子植物が誕生しています。また恐竜や鳥類の祖先にあたる双弓類もペルム紀に誕生しました。この後ペルム紀の大量絶滅を生き延び、中生代において恐竜が一時代を築きますが、恐竜もやがて白亜紀の大量絶滅によってほぼ全滅してしまいます。
かつて世界中には様々な神話がありました。様々な地域で神話が生まれ、神話という名のミームはまた別の地域の神話と触れることで全く異なった意味をもつミームに変化していきました。どこかの地域において信仰の対象が別の地域では忌み嫌われたり、日常的な意味合いしかなかったミームが別の時代には異様な象徴に祭り上げられたりとその変化は様々なものがあります。
人間が生み出す様々な象徴には、それが生み出されるだけの理由が確かにどこかにあるような気がします。私たちの祖先にあたる生物が歩んできた軌跡を辿ると、私たちが怯え、怒り、悲しみ、楽しみ、喜ぶという感情が生成されてきたことの由来はある程度想像できます。知性の発達と共に、怯えや怒り、悲しみ、楽しみ、喜びの意味もまた微妙に変化してきたであろうことも理解できます。
私たち人類もまた自然の一部であると考えることはできるでしょう。しかしまた、自然から逸脱した存在者であると考えることもできると思います。どのようなものであれ、自然における人類の意味を問うことのなかに、私たちの行動のあり方が求められているような気がします。恐らくそれは人それぞれの価値観や考え方に委ねられていると思います。しかしそのそれぞれの価値観や考え方がもたらす意味を実際には私たちはそれほど深くは理解していないような気がしてなりません。
私は特にこのことについて明白な答えを持っているわけではありませんが、幾つかの問題については浮き彫りにできるのではないかという僅かばかりの期待くらいは持っています。